シングルマザーの思うこと

40代のシングルマザー(3年目)。離婚・子供達・同居・お金のこと等をつづってます。

3.11 あの日から離婚のカウントダウンは始まっていたのかもしれない

こんにちは。

専業主婦からシングルマザーになり、二人の女の子(9歳と6歳)と実家に戻り父親と4人で暮らしているfufuママです。

 

今日は3月11日。

東日本大震災から8年が経過しました。

被災した方々の苦労が、今でも続いているのかと思うと苦しい思いでおります。

 

8年前の今日

 

私たちは横浜市に住んでいました。長女がまだ1歳3か月の頃。

いつもと変わらない日、ちょうど長女がお昼寝中でゆったりと過ごしていたとき、大きな地震がありました。どうしていいかわからず、少しでも揺れを感じないように部屋をウロウロしてみたり、続く揺れにテレビを抑えてみたり、子供の上に覆いかぶさり何か落ちてくるものから守ってみたりしていました。子供が起きなかったことが幸いです。

やっと揺れが収まり、テレビをつけるとまだ情報が入り乱れておりとにかく大きな地震があったということしかわかりませんでした。

 

恐怖のあまり、日常的な行動をおこしていました。

 

長女が起きてからは何もなかったかのように、いつものようにスーパーに無料の水をもらいにでかけ、異常な事態になっていることに気が付きました。そのスーパーは1階は無料の水の機械が置いてあるだけの駐車場スペース。2階が店舗になっていたのですが、1階は通常どおりはいれるものの、2階はすでにエスカレーターも止まりお店が閉じていました。

普通に考えれば当然といえば当然ですよね。陳列しているものが全部床に落ちて、大変な状況だったようです。

私は普通に過ごしているつもりで、実はこのときからすでに精神的に参っていたようです。

 

スーパーから家に戻り、テレビをつけると恐ろしい光景が映っていました。何が起こっているかわからないような、大きな津波の映像でした。

まるで映画のワンシーンを見るような、これが現実だと思えないような映像。

本当に大変なことが起こったと思い、さらに現実がわからなくなっていきました。

 

夫と連絡を取る

 

実は夫と連絡を取るということをすっかり忘れていました。

恐怖のあまり、何もなかったことにしていたんだと思います。だから日常的な行動をし、冷静を保っていたのだと思います。

夜に夫からやっと電話がつながったと言われ、お互いの無事を確認しました。

 

夫の仕事

 

夫は、賃貸不動産の会社で働いていたので、対応に追われていました。

車通勤のため、電車で帰宅する人たちよりは帰ってこれるだろうと思っていましたが、地震の影響でエレベーターが使えなくなった物件に行ったりと対応に追われ、この日から毎日夜中の帰宅になりました。

 

あの一言

 

地震があった3日後、やっと夫の休みの日がやってきました。

この日まで、毎日不安に押しつぶされそうになっているのを何とかごまかし生活していました。

実は、私は地震が一番怖いんです。小さいころから怖くて、一人で留守番していた時に地震があると、かならず家を飛び出し誰か近所の人が出てきてくれるのを待っていたりしていました。

この日まで、町でも異常な行動が始まっていました。水がなくなるという噂でスーパーに押し寄せる人たちの行列などがあり、普通に過ごそうと思っていてもその様子を見ているだけで不安に襲われました。

そして、やっと夫が休みの日。夫は私がかなり不安になっていることもわかっていたのに仕事に行くと言い出しました。

怖くて怖くて毎日過ごしていた私にとって、夫の休みの日が恐怖から解放される日だったのです。

崩壊寸前だった私は、泣きながら夫に頼みました。今日くらいは休んでほしいと。

そこで言われた一言は

「どこまで足手まといなんだ」

でした。

家族よりも仕事を優先する夫。いつもなら休みを返上しようが、私や子供が具合が悪くても仕事を優先する夫を理解し、何一つ文句も言わずにやってきた私が、初めて夫に頼ったときでした。

私の心の中で何かが終わりました。

その後、あまりにも私の様子がおかしかったのか自分で言ってしまった言葉が悪すぎたことに気付いたのか、その日は結局仕事を休んでくれました。

 

最後に

 

震災に合われた方はこんなことぐらいで、精神が崩壊するなんて言うなと言われてしまうくらいの小さな出来事ではあります。もっともっと怖い思い、大変な思いをされている方がいらっしゃることもわかっています。私の経験したことは被災した方たちに比べたら本当にたいしたことではありません。

それでも、このときは本当にまともではいられませんでした。

初めて弱みを見せ、頼った夫に捨て台詞を言われ、私の中で夫への信頼や愛情の芯は消えていきました。

その後、家を購入し二人目を出産し順調に生活しているように過ごしていましたが、ずっとこのときに言葉を忘れることはありませんでした。

きっと不倫がなくても、離婚は遅かれ早かれだったと今でも思います。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。